返信先: ただの愚痴


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#4063
善良(自称)とは何か・・・哲学
ゲスト

自称ということは自分が呼称することなのですが
承認欲求を満たしているのだろうか
承認欲求とはマズローの5段階説によるものだけど
このマズローの著作を読めばわかるが(日本語訳ではなく原典を読んでね)
人類は第1段階と第2段階までしか進めていないというのが結論ずけている
第1段階=生命活動の維持つまり、「生きる」ということ
第2段階=危機回避であって安全で安心した暮らしができるということ
人類はこの第2段階までで藻掻いているというのが結論になっている
第2段階までが不完全であるわけだから自称自体に意味はないことになる
承認欲求は第4段階になるため人類はそこまで到達していないというのがマズローの主張である
したがってメディアやWEBでそれらしく随所にかかれてある「承認欲求」を主張しているのはマズローの主張の断片を曲解しているに過ぎない

次に善良であるが、対義語は不良や邪悪になる
そこでこれを考えてみる
AがBにある行為を行ったときに
一方では善であり、見方を変えれば悪となる
戦争に置き換えると
双方共に自軍は善であり敵は悪である
しかし戦争が終結すれば勝った方が善を宣伝し負けた相手を悪と決めつける
反対に負けた方からは、悪貨は良貨を駆逐する的にとらえるだろう
では、いずれが善であり悪であるかはいかにして決まるのか
善とは倫理的に道徳的に正しい、正義であると言えるときであろう
では倫理的に道徳的に正しいとはどういうときか
いかなる条件下においても倫理的に道徳的に正しい、正義であると言えなければならない
はたしてこれはじつざいするのか
先に述べたとおり見方を変えれば結果論も変わる
とすると矛盾することになる
ジョン・ロールズの無知のベールの中では自身の強みと相手側の弱みが分からず、自身の位置が分からなくなる
この状態では先に述べた「自称」も意味をなさない
ではこの状態で善良は存在し得るのか
倫理的に道徳的に正しい、正義であるというなら存在しなければ筋が通らないことになる
これははたして可能なのか

ここで
善良(自称)とは何かにもどると
自称ということは自分が呼称することであるが故
善良であると言いきれるわけです

では(自称)をはずして考えてみよう
さて善良とは何かということだが
これは現代の哲学でも結論は出ていない
功利主義・唯物論・実存主義・社会契約論・正議論・(順不同)などを考察し
心理学(臨床心理を含む)も合わせて考えるべきとおもう
一種悪魔の証明に近い物が有るようにも思える

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